がんばってもどうせダメだろパターンを改善したえむやを支える一枚の図

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こんにちは、えむやです。
ぼくはこの図を部屋の目に付くところに貼り付けて常に目に入るようにしているのですが、


縦軸が結果。横軸がその結果を出すための準備、努力した量をさします。

この図を僕の過去を例に使いながら解説しますので、
もしあなたもかつての僕のように、

努力してもどうせまたダメだ

スパイラルに入って動けなくなってしまっていたら活用してみてください。

何の努力もせずに上手くいっちゃうと人は慢心、奢ります。

僕でいうところの小学校時代でしょうか。
幸も不幸か大した努力をせずに案外テストで点がとれたり、
サッカー少年団にいたのですが、キャプテンとかになっちゃったりして
結構トントン拍子にいっちゃってたので当時かなり天狗になってました。


その結果、当然そのノリで中学にあがると成績はさがるわ、
サッカーは周りの人ウマすぎて挫折しまくるわで痛い目にあいました。
で、当然楽しくもやる気もないので辞めたくなったのですが、

高校の内申点に響くんじゃないかってことと、

帰宅部になってしまったら孤立してしまうんじゃないか
という恐怖心から辞められず、

万年2軍のグダグダ部活ライフになってましたw


あと、思い出すのは就活ですね。

高校時代から大学までいろんなバイトをやってきて、
面接でほぼ落ちたことがなかったので、なぜか当時の自分は就活も同じノリで受験。(商社ばかり受けていました


筆記対策はそれなりにやりましたが、
企業研究といいますか、
自分の受けようとしている会社がどんな人材を求めているのか、

そもそも自分は商社にむいているのか
(実際、自己分析すると公務員やメーカー、銀行向きでしたw


などなどほとんど研究せずに、


まぁ、受かるっしょ。


ってノリで臨み、案の定、大変苦戦いたしました。


あなたも経験あると思いますが、慢心している状態の先っておそかれはやかれロクなことがないですよね。

まぁ、日本でいいますと大日本帝国がその典型であるように、
歴史がもの語っていますよね。。

何の努力もしてなくて案の定上手くいかなったら人は後悔します。
もっと〜しておけばよかったと。

ってことでえむやは学生時代全体が後悔の連続だったなと思います。

ロクな努力も積み上げもなく(ゲームはめちゃ積み上げましたw
バイトばかりしてサボりまくり、遅刻しまくりの高校時代。

いったいなにやってたんだ??って感じでしたw

案の定、僕は大学受験も失敗してますが、
あの大した努力もしてないのにやっぱり受からなかったってときの、


ですよね、オレ。。。

っていうむなしさしかない感覚はもう二度と味わいたくないですね。

この発想が自分にはなかった

えむやは仮にめちゃめちゃ努力しても上手くいかなったら、


はぁ、やっぱオレってダメだな。


センスないな。


運がないな。


何やってもダメだ。


どうせ次もこんな感じになっちゃうんやろな。


って感じでした。
現に親を含め、当時の身の回りの人(今も一部いますがほぼ無視してます
も結果だけ見て、


やっぱおまえはダメだな!

そんなこと無理に決まってる!


って感じの人ばかりだったので尚の事でした。

但し、ゲームだけはちがいました。
ゲームでいくら失敗してもだれにも責められませんし、
恥ずかしくもないので誰の目も気にならず一心不乱に努力しまくってました。


というか、単純に面白かったからだけなんですが、
僕は今ゲームからいくら努力が報われない、なかなか結果がでなくても



すべてこれは経験になっているんだっ!って感覚を教わったので、


当時はムダだな、非生産的だなと後悔していた事もありましたが、
今となっては胸をはって堂々と



ゲームは結果を出すために大切なモノだと断言してます。
(さらにはゲームの情報発信まではじめてしまいましたw

当たり前ですが、経験の量は結果をだす確率を確実にあげていく

さいごの自信についてはもうイチイチ説明する必要もないと思いますが、
しっかり努力して、結果上手くいったら誰でもそれは自信、確信につながりますよね。

それよりも僕が大事だと考えているのが、


結果が出る確率をあげるのは確実に経験だということ。


ゲームもスポーツもそうですが、
よほどセンスがある人でもない限りいきなり上級者みたいなプレイはできないですよね。当たり前すぎますが。


でも、えむやはこの当たり前が勉強やサラリーマン時代にできなかった。


どうせ努力しても結果が出ないのなら何の意味もない。
勝てなければ意味がない的な感覚ですかね。


じゃあ、はじめからやらなくていいやと。



ということで“やってるフリ”が国内トップクラスに上手くなった人間になってましたね。はずかしながら。。

その今の努力、経験がほんっとうに自分がほしい真の結果につながっていると断言できるか?

ゲームでなら僕はイメージしやすいなと思うのですが、


おいおい、そんなところ一生懸命やっいても全然意味ないよ。


ってきづけますよね。


受験におきかえると、例えば、

国語 70
数学 30
理科 60
社会 90
英語 70 合計320点

くらいの成績だっととき、
志望校を合格するのに合計で350点必要だっととしたら、
ここでもっとも不足の30点分を補えそうなのは数学ですよね。

もしあと10点とれば100点だ!
と必死こいてやってたらあなたが先生だったら指摘しますよね?


おいおい、いくら社会100点とったとこで
志望校受かんねぇぞと。

数学か、国語、理科、英語をあと10点あげられるようにって感じでいいますよね。

えむやが商社マンだったとき、


若いうちから一冬雪山に篭ってスキーしまくって生きたいなぁ
っと思っていたのですが、
サラリーマンでどれだけ努力し結果を出してようが、


ぜっっっったいに一冬休めないですよね。
サラリーマンでいる限り、絶対にその結果は得られないんですよ。



そこで僕は当時1年半悩んだあげく、
とりあえず、辞めちゃったわけですが、
それはあまりにハードルが高すぎるので、とりあえず



人生っていう大きなひとつの旅としての結果、ゴールを
設定したとき、


その今の努力、積み上げている経験が
その結果を得る確率をあげてくれているのか?



これをこねこね頭の中でねってみるのは



あぁ、こんなはずじゃなかった



と結局努力はしてたのだけど、
本当に欲しい結果のためには



何も結びついていなかった=何もしてなかった=後悔




に陥ることを避けられるとても大事な作業だと思うので
あなたもトイレや部屋に貼り付けて結果を得る精度を日々あげてみてはいかがでしょうか^^



僕は、商社も辞め、何の看板も持っていなかった
冴えない男だったのに、
ハイスペ女子に溺愛されるようなりました。

また、多くの人が挫折、消えていく
ネットビジネスでも、起業2年目で
商社マン時代並みの稼ぎを取り戻せました。

わけわかんないですよね。
謎すぎる、まぐれだろ。
ってよく言われます。

でも、商社で営業をしていながら、
完璧主義、コミュ障という致命的欠陥を抱え、
人ともまとめに目を見て話せない、
文章だってロクなもの書けやしない。
挙句の果てには、心が病んで休職、退職。

こんな僕でも、
ここまでこれた。

仕事やスポーツを覚えたように、
学んで、実践し続けて行けば
あなただってもちろんこれる。

えむやが少しずつビジネスに慣れ、
結果というお金を稼ぎ、
ボロボロに否定していた自分の可能性
可能性の塊に確信化させていった過程を公開しています。

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