初めまして、平田です。
えむやという名前でブログを書いてます。
と、いいましても、
お前誰やねん。
となると思うので、
自己紹介をさせていただきます。
元商社マンだったのですが、
脱サラしてぶどう園をゼロからのんびり経営しつつ、
冬はシーズンまるまるスキーをして過ごし、
2017年からインターネットを活用した事業です。
この事業のおかげで子供の頃から大好きだったスキーをいくらでもやれる時間を確保しつつ、商社マン時代並みの収入を持っています。
箇条書きで、軽く自己紹介を^^
- 寝ていても、あそんでいても、農作業してても、スキーでリフトに乗っていてもポンといきなり数万以上の利益が出てしまうことがある。
- インターネットビジネスを活用して時給換算で開業医の平均をかるーく越えてしまう。
- MacBook、Iphone1台でそれらを達成する
- 資金も才能もない状態からビジネスを学びまくることで稼げるようになった。
- ビジネスを学んだことで、まだお金を稼ぐ実績のない、さえない農民でありながらハイスペ女子から溺愛されるようになった。
- ネット上につくった資産が勝手に利益を生み出すので、24時間を自由に使える
- よって、もはやお金のために生きていない。
- これまで得た知識、経験を使ってビジネスに応用して利益を最大化している。
- 学びたいこと、体験したいことにガンガン時間とお金を使うことができる。
- ビジネスを原理から学んだので、サラリーマン時代のように特定のジャンルでしか売上をあげることができないということがない。
- 数億クラスの実業家の濃い情報に日々触れていることで視野を広げている。
- 学ぶことで世界は広がっていくと経験的に確信している。
- それと同時に井の中の蛙状態から脱却し、素直に純粋に学び、生きることができるようになっている。
- 故にゲームのように自分が日々レベルがコツコツあがっていく。
- お金の為に生きなくてよくなってしまったが、スキーのオフトレも兼ねてのんびり農業等の労働に励んでいる。
ひょっとしたらあなたには信じられないかもしれません。
僕も信じれない世界だと当時思ってました。
ですが、
えむやにセンスがあったとか、
元々ビジネスに詳しかったからとか全くなくて、
学び、実践していったからこそ上記の状態を手に入れていきました。
と、書いてきましたが、
かつての僕はガチでセンスもガマン強さもない、キングオブ3日坊主でした。
さらには完璧主義なコミュ障。
それらが原因で様々なコンプレックスを抱えてムダに自らを不自由にして生きてきました。
コンプレックスと劣等感の塊です。
人前で話すなんてのも緊張しますし、
人に断られたり、嫌われるのが怖すぎて
目も合わせられないですし、
強くモノを頼んだり、断ったりができませんでした。
それが商社マンとして決定的にアウトで、
最終的に病んで病んで休職し、
いわゆる、一身上の都合で辞めてます。
そんなやつが
スキーをやりまくれる時間を手に入れつつ、商社マン時代並み、以上の利益が勝手に生まれる生活に変化しました。
ちょー怪しいですよね。
怪しいでしょうが、前述したように世界は広いんですよ、じつに。
今の僕にとってはその世界が当たり前で、
それをまずとざっくり認識してもらって、
このブログを読んでもらえると面白いと思います。
このブログのコンセプトである、
応援し合う世界へ。否定の壁への挑戦。
とは、故栗城史多さんが提唱していた世界です。
彼の世界観と真逆の価値観の人々に囲まれて生きてきた自分にとって、
人生の舵取りが大きく変わるきっかけとなりました。
えむやが挑戦していきたい、挑戦していきたい否定の壁とは、
情報格差の壁です。
かつてのえむやがそうだったように、
あなたが日頃ふれている情報=常識だと思っている価値観、人々、環境によって、
残念ながらあなたがいくら精一杯がんばっていても悩んでいても、その結果にはとてつもない格差が生まれています。
これは、断言できます。圧倒的な格差です。
極端にいうと、草むしりをいくら極めても
3流の起業家よりも稼げないし、時間も手に入らないと表現したほうがいいでしょうか。
サラリーマンをいくら極めても雇われている状態である以上、収入、時間において真の安定、自由が得られないように。。。
自分が反面教師にしてきた
親や学校の先生達は、
こういったお金やコミュニケーション能力の本質的な思考を
ほとんど学ぼうとしませんでした。
それは不幸なことに、
それらを学ぶ重要性、必要性に気づかせてもらえる情報や教育にふれてこれなかったせいだとえむやは考えています。
逆に言えば、
良質な情報にふれ、学び、実践し常識を変えていくことで、えむやが手に入れてきたような世界をあなたにでも手に入れられる。
えむやは1人でも多くにこの決定的な格差があること、もっと世界が広いことをビジネスを通して実感してもらい、
学び、実践することで自分への否定の壁、格差の壁を取っ払い、
お金で時間や心が制約されている状況をさっさと卒業してもらいたいと考えています。
応援し合える状態というのは、
そうした“余裕がある”状態でないと生まれてこないと僕は思ってます。
このあげ足をとりまくる世の中がそれをまさにもの語っていると思います。
多くの人に余裕がありません。
それもそのはずで、
会社に行かないと収入がない状態では一生余裕が生まれません。
なぜなら、会社員=代わりがきくもの=あなた以外にもできる人がいっぱいいる状態だからです。ライバルだらけなわけです。
だから、周りの目が気になるし、比較して一喜一憂するし、
不安でしょうがない。何を隠そう商社マン時代までの自分がそうでした。
そんな状態で他を応援なんてできないですし、むしろ蹴落とすことに集中しなければ自分がやられます。
お金がすべてとはいいませんが、
自分でお金を稼げる=自分で人に価値を生み出せるようになる
と間違いなく余裕が生まれてきます。
あなたの好きなゲームに置き換えて想像してみてください。
あなたは先に自分がやっているステージをクリアしている人を
妬んだり、ムダに焦ったりするでしょうか。
しないですよね。
だって、自分もいずれクリアできると思っているから。
僕はお金の問題もその程度のことと確信しています。
それをあなたにも実感してもらう上で
かつての僕の状態、頭の中を知ってもらおうと思います。
たぶん、
こんなやつでもできたのなら、自分でもできるかも!
と希望を感じてもらえるかもしれませんw
僕が歩んできた3つの世界、
- 周りばかり気にして何も主体性を持っていなかった世界
- お金はあるけど、やりたいことがやれる時間がない世界
- やりたいことがやれるけど、お金がない世界
本当の意味で時間を増やす方法や
お金、心を豐かにしていく方法も書いています。
是非興味ある記事からどんどん読んでみてください。
もくじ
小学生〜家庭や学校の影響で失敗したくない病=完璧主義クセがつき始める。
小学生の頃、両親が夜にくだらないことでケンカしたり、母と父方の祖母が仲が悪くてケンカしたりというのがしょっちゅうでした。
それを部屋から聞いていると、
なぜか自分が責められているようで苦しかった記憶が
今でも鮮明にあります。
僕はその口論を聞いているのが本当に苦しくて、
地震が来たわけでもないのに
自分の学習机の下にうずくまって耳をよくふさいで
やり過ごしていました。
それらの経験からなのか、
なるべく怒られたり波風立てたりしないようにしようと表向きを繕うクセがしみついていきます。
学校ではそんな上っ面だけ良い自分が先生にとって、扱いやすく都合がよかったのでしょう。
随分と褒められることが多かった記憶があります。
まだ何も知らない自分は、周りが良いと言われるものに流されるように、褒めてもらえるように生きていました。
とにかく失敗したくない。
失敗がもつ本来の有効性など1ミリも考えることなく
ハリボテの自分を構築しはじめました。
親も学校の先生も起業するまでに出会ってきた多くの人は、
どうすれば失敗せずに生きていけるか、
なるべく今持っているものを失わずに済むか
を考えて生きていました。
僕はビジネスの本質を学んで確信しましたし、
子供の頃からゲームなどでなんとなく気づいていましたが、
失敗できない人は変化にも対応できないし、そもそも変化に気づけるアンテナがなくなっちゃいますし、当然成長も進化もできません。(できても超遅い
あ、〜しちゃったから失敗したのか!
じゃあ、こうしてみるか!
とどんどん失敗からデータを取って戦っていくことこそが、
もっとも失わずに済む生き方
なはずなのに、彼らは真逆な生き方をしているんですね。
改めて知識がないことは恐ろしいと今書いていて思います。
記憶も中身も薄い中学生時代
そんな上っ面だけの生き方をしたまま中学生になったえむやは、小学生の頃からやっていたサッカーで
上級生から軽い差別じみたいじめにあいます。
自分の出身だった小学校が弱小だったからです。
えむやはゴールキーパーだったのですが、
入部当初、県内の有力な選手だけが参加できる練習会に推薦されるなどまぁまぁイケてたのですが、
弱小校出身なクセに生意気だと、
練習や試合でも自分だけキツく当たられました。
自分と同じ出身校の仲間たちも各ポジションで同じ境遇でしたが、
彼らは耐えて耐えて乗り越えていきました。
僕はプライドが高かったのと、
小さい頃のトラウマで人からキツく言われる耐性が
著しく低い為、
〝自分はなんでこいつらにこんなこと言われなきゃいけねぇんだ、
けっ!サッカー全然おもしろくねぇわ。
ってグレてしまい、
逃げに逃げました。
小学生の頃はJリーガーを夢みるくらい、
純粋に上手くなりたい気持ちがありましたが、
〝もうどうでもええわ。早く帰ってゲームがしたい。
そんなスレた中学生でした。
でも部活での苦痛以上に帰宅部が格好悪くてイヤだったので部活にはとりあえず行ってる感じ。
他のポジションのが風当たりが弱そうだ、
と思いキーパーも一時期やめて違うポジションをやりました。
我ながら印象的だったのが、
3年生の最後の夏の大会。
敗退が決まり、みんな涙して悔しがっている中、自分は正直3年間の中で1番うれしかった記憶があります。
〝やった!ようやく、部活に行かなくていい!
これでゲーム三昧♫
1人で解放された気分になってました。
その一方で、
小学生時代から苦しい状況になればなるほど、怒られたくない、良く思われたい的な上っ面だけ良くみせようマインドが強化されていきました。
こんな自分なので友達との関係も上部だけのうすいものでした。
よってケンカらしいケンカもしたことがないですし、
親友と呼べる友達もいませんでした。
今は現在の彼女をはじめ、情報発信を通じて自分の信念に共感してくれる人とだけ付き合うようになりました。
かつてはSNS同様、いたずらに交友関係が広いことがステータスだと思い込んでいましたが、上部だけの関係などいくら広げても
何の意味もない
とえむやは経験的に思っています。
デビューしちゃって浮かれてたけど、何も積み上げれなかった高校時代
えむやが通っていた中学校は校則が厳しく、部活動と合わせて窮屈な日々を過ごしていましたが、高校はとてもゆるゆるでした。サッカーも二度とやらないと帰宅部でゲームがお友達だったのですが、
さすがにそのルーティンに飽きて退屈だったのと、
中学時代の僕を知る同級生から高校のサッカー部はかなりゆるいという話を聞いて1年の夏休み明け頃に入部。
たしかに中学に比べれば上下関係もゆるく快適でした。(なにせ顧問がど素人でしたから)
学校はバイト禁止でしたが、
親がケータイを持たせてくれなかったのと遊ぶお金がほしくて部活動をさぼりながらバイトしてました。
バイト先の大学生たちとつるむようになり、
夜遊びが増え、毎年遅刻を3ケタ以上するほど乱れました。
部活動も勉強も適当。
女子を追いかけることに目覚めてしまい、
高校でがんばったことなんて、彼女づくりくらいしかほとんど出てきません。
それだけ乱れていても相変わらず先生には反抗的な態度を取らない中途半端なワルでした。
高校デビューってやつでしょうか。
中学生より何かと自由だった為、思い出としては良いイメージが残ってます。
しかし、何も積み上げれなかった高校生活でした。
優秀なやつらを目の当たりにし、しょぼいプライドで危うく就職浪人しかける大学時代
高校時代、遊びに遊んだ結果、当然浪人します。何も努力しないくせに、
〝いい大学に行ってイケてる感じになりたい
的なここでも上っ面だけよくしたい欲だけはありました。
それでもやっぱり勉強しないw
浪人中も夏まで遊び呆けていましたが、
夏休みの終わり頃にようやく尻に火がついたのと
たまたま参考にしていた予備校の教材が幸運にも優れていたこと。
時間がない為、
余計な事を一切やらなかった(ある意味エッセンシャル思考だった
おかげで地元ではまぁまぁ良い大学へ進学。
(南山大学ってとこです。
ここでもまた高校時代以上に自由な環境に
がっつり甘えてだらけにだらけます。
これまであまり友達がいなかったえむやでしたが、
大学時代は同級生、後輩含めこれまでより少し濃い友好関係が築けるようになりました。
そんな彼らと日々だらけにだらけます。
とはいえ、地元では優秀な大学だったので、
普段いっしょにだらけている連中もいざというときは優秀なやつが多かったです。
彼らがいなければ間違いなく順調に単位は取れなかったでしょう。
そんな感謝すべき彼らに対しても格好つけたい欲求をこじらせるえむや。
就職活動時、これまで助け合ってきた連中と離れ独自路線で就活をはじめます。
〝こいつらよりオレのが優秀なのを見せてやるぜ!
というしょうもないプライドと、
〝もし、上手くいかなったときに無様な姿を見られたくない。
そんな気持ちからだったと記憶してます。
どんどん大手企業や有名企業に就職していく友人達。焦りましたね。
〝男ならだれでも行けそうなメーカーとか銀行じゃなくて、商社にでも行けよ!
と当時の彼女にハッパをかけられていたこともあり、
適性診断では全く不向きなデータしか出てなかった商社一点張り。
(ちなみに当時の僕は公務員の適正がめちゃよかったですw
人が資源
的なコトバが流行っていた当時の商社業界。
20年間、上っ面だけしか鍛えてこなかった何の人間力もないえむやは商人達には当然通用しませんでした。
一社だけ、用意してきたコトバでなく、本音をぶつけることができた会社がありました。
〝もう一度、話を聞いていただけないでしょうか?
何を書いたか具体的な内容は忘れましたが、
最終面接で落とされた会社へもう一度受けさせてくれ的な内容を直筆の手紙で送りました。
〝このままでは、就職浪人して
みんなに無様な姿をさらけ出してしまう。
もう自分のかっこ良さなどなりふり構ってる場合ではなかった。
幸運にも内定者に辞退者が出ていたことと、その会社に勤めていた高校の先輩が自分のことを社長に推薦してくれたことで再戦が実現。
奇跡の内定に至ります。
それまでの人生で1番やり遂げた気分がして体から金の紙吹雪でも出てくるんじゃないかってくらい高揚したのを覚えています。
ハリボテの自分が崩壊していった商社マン時代
ところが入社早々、事件が起こります。まず、自分を拾ってくれた最も感謝すべきであり、
〝こんなステキなトップがいる会社でオレはがんばるぞ!
と思っていた社長が解任させられていたこと。
結局、真相が分からないままなのですが、
僕を役員会議を通さずに独断で採用したことが解任の一因という噂をあとで耳にして、
入社早々会社へ不信感が募ります。
後ろ盾を失い、なんだか橋の下で拾われた要らない子供みたいな
後ろめたい気持ちで入社早々会社へ通い始めます。
さらに不幸が続き、
同じ大学出身で同期になるはずだった1人が
謎の自殺を入社直前にしてしまいます。
入社時に社長直々にその事を伝えられ、
さらに、社長は
もう会社とは関係ないから一切関わらないように
的なことをぬかします。
自分はとても感情的になり、それはおかしいと上司に相談しますが、
〝おまえはサラリーマンである以上、社長が言ったことに従わなければならない!
と一蹴。
その一言で入社早々、上司との信頼関係もあっさり切れ、
独断で亡くなった彼の家を訪問しました。プライベートな内容なので詳細は割愛しますが、彼のお母さんは悲しみのドン底の中、初対面にも関わらず長い時間お話してくださいました。
そうしてサラリーマン生活がはじまっていきましたが、
ここでは就活時同様に、
これまでの上部だけ取り繕ってきた自分は彼らの前では全く通用しません。
完全に自信喪失します。
その傍らで年の近い先輩や後輩がバリバリ実績をあげていきます。
〝あぁ、商社マンの営業ってやっぱセンスなんやな。オレにはそれが全くないわ。
営業、自己啓発系の本を読み漁り、
なんとかしようと一応努力はしましたが、
全然、充実感はありません。ますます自信を失う一方でした。
ただ、仕事できなきゃヤバい、置いていかれる的な恐怖と不安で過ごしていただけです。
さらに、人間関係にも悩みに悩みました。
僕の所属していた上司たちは自他共に認められている社内屈指のエリートたちでした。
彼らのおかげで僕の収入は同期と比べてホクホクでした。
しかし、彼らの価値観、センスに全くついていけない自分は毎日激しくポテンシャルをディスられる日々をすごします。
とくに僕がお客さんと電話してる間の僕の話す言葉一語一句聴きながら、
〝こいつ、やっぱダメだわw
〝なにを考えてたら、そんなこというかな??
〝おい、こいつどうする?
〝オレじゃもう手に負えないっすw
って感じで耳を当てている反対の耳から聞こえてくる声がマジでコタエマシタ。
中学校時代にやられた時と同じ感情が湧いて来ました。
もう電話が恐怖でしょうがなかったです。
えむやくん、電話だよ!
って言われるたびに、
びくっ!!
って末期はなってました。
これが彼ら流のいわゆる鉄板な英才教育なのでしょう。
こうして優れた商社マンは育つのだろうと頭では分かってました。
でも、自分はこれまで述べてきたように全然タフさがありません。
できる商社マンたちは軒並みタフです。
打たれ強いし、顔の皮が超厚いし、頭キレキレ。
そういった素質を持って生きてきた人には、
おそらく僕のようなもやし野郎の気持ちはまったく理解できなかったのでしょう。だから余計にイライラしていたんだろうなと思います。
この自分の苦しさを理解してもらえない
のが仕事内容よりも遥かに苦しかった、つらかったです。
だから正直、商社で仕事ができるようになる未来とやらに何の希望も抱いていませんでした。
そして、当時もっともそんな苦痛の日々に耐えるモチベーションにしていた彼女にフラれたことをきっかけに、
完全に心がこわれ、休職してしまいます。
〝もう、人生おわった。
って、思いました。もう毎朝起きるのが辛くならなくて済むようになったのはかなりうれしかったですが、
やっちまった感もありました。
〝休職とかもう、サラリーマンとしては終わっちまった、やっちまった。
通院していた医者からも、心の病気を根本的に治すには会社を辞めた方がいいと言われました。
でも、ほとんどの方は生活の為、辞めるわけにはいかない。
だから、薬飲みながらがんばってますよ、
と。
自分もこの安定した収入が失われるのは恐怖でした。
でも、ボーナスをどれだけもらえてもうれしいのは一瞬で、
〝またゼロからやらなきゃいけない。今月もこれまでのようにできるだろうか。
と不安が襲いかかってることの方がもっと恐怖でした。
そして、人間関係。
もうこれ以上、彼らと人生の多くの時間を費やすことに絶望しまくりました。
〝どうせ、ここにいても終わっちゃってるんやから、違う世界へ行こう。
やりたいことやって生きてみよう。
休職復帰して数ヶ月後(たしか
退職し、昔から大好きだった雪の世界、
白馬へ何もコネはありませんでしたが単身旅立ちます。
やりたいことやっててさえ満たされなかった脱サラ後
1シーズン大好きだった雪山ですごし、しかもスキーをやりまくる。
篭らせてもらっているオーナーのおかげでスキースクールで仕事もさせてもらえるようになり、よきメンターたちとの出会いもあって、
メキメキとスキーヤーとしても成長し、指導員の資格まで取れました。
その一方で地元民のライフスタイルを真似て
冬はヒマな分、雪山での時間がしっかり取れるという目論みで始めたぶどうも研修生からはじまり、
やがて自分の畑を持ち、着々と独立へ向けて歩んでいました。
〝とにかく、やりたいことがやれていればきっと幸せなはず
だと信じていました。
収入は商社マン時代の1/3から半分以下程度になりました。
〝お金より、やりたいことをやれてることが大事!
ボーナス時期のニュースや、たまに会う大手企業に勤める大学の同級生たちがぐいぐい昇進し、広がっていく差に焦りや不安になるたびに繰り返しつぶやいていました。
実際、商社マン時代よりははるかに今のライフスタイルのがマシでした。
お金はないが、もう鬱な日曜、平日の朝を繰り返すことがない。
話すたびに心が蝕まれていく上司たちともう仕事をしなくていい。
でも、不安な日々はなくならない。
スキーとぶどうだけではまだまだ食べていけないので、
アルバイトをいくつかやっていましたが、
〝それもいつまでも安定した収入が見込めるのか。
〝今は若いから仕事もらえるけど、将来はどうなるんだろか。
ずっと仕事をさせてもらえるのか。
正直、それらの他人に経済を預ける、依存する日々に不安を持って
生きていました。
そう、経済状況に関してはサラリーマン時代から何も
進展していなかったのです。
〝やりたいことやって生きてても自分は幸せになれないのか。
オマエはどれだけワガママなやつなんや?
と、自己否定しまくっていた時期もありました。
そんな日々を過ごしていた時です。
ある女性との出会いをきっかけに僕は新しい世界に進み始めます。
これまでの価値観が崩壊した新人類との出会い
ぶどう研修生時代、まだ何の知識もないど素人ながら、ネットの力、集客の力を利用しようと、ぶどうをヤフオクで売っていました。合わせてSNSで商社マン時代から今に至る思いを情報発信していました。
これまた当時は何のコピーライティング力もない、とても読みづらいものでしたが、
そんなしょぼいものでも自分の思いに共感してくれる人が何人かいました。
その中で、僕のつくるぶどうの大ファンになってくださり、
かつ自分と同じスキーを愛する女性がいました。その女性の娘さんとの出会いが自分を大きく変えていきます。
僕は彼女と何度かスキーをしたり、スキー後のペンションで互いの人生観を話し合いました。
相手は10歳以上年下。
僕はこんな変なおっさんもいるんやでぇ
ってノリで格好つけることなく話しました。
これまでの逃げまくってきた人生。
相手を全くリードしてあげられない、
自分よがりでだらしない恋愛を繰り返してきた話。
やりたいことやれていてうれしい一方、が不安定な低収入状態に焦ってる現状。
これまで出会ってきた女性ならドン引きする人もいるであろう内容をガンガン話しました。
不思議なことに、そんな自分を彼女はとても評価してくれます。
後で聞いた話、この時から彼女は自分にとても好意を持ってくれていたらしいです。
それを感じていたものの、
〝何かの勘違いだよな
と思っていました。
自分はこれまで歩んで触れてきた人、情報によって、
負け犬根性というか、基本的に自信がない、
自分も他人の可能性も否定する思考パターンが染み付いていました。
だからこそ、肩書きだけにはこだわってきました。(それを取るために努力はしようとしていなかったが。
いい大学、
いい会社、
肩書きがないと自分の存在価値なんてない!
って思っていたからです。
そのあたりは女性の方がよりシビアだとこれまで付き合ってきた人たちから感じていました。
〝商社マンでない自分など何の価値もない。
と思っていたので、肩書きを失った時点で二度と女性とお付き合いできることはないとあきらめていました。
まして結婚もありえない。
〝大事な娘が選んだ男がこんなやつだったら大反対されるだろうな。
こんな妄想も一人でよくしていました。
だからもう考えることことをやめていました。思考停止です。
サラリーマンの人たちが自由に生きる可能性を探ることを諦めるように、
自由になれた代償にごく普通な家庭を築くことを諦めていました。
そんな自分を彼女は評価してくれて、
僕のポテンシャルがめちゃめちゃすごいと何度も言ってくれる。
信じられませんでした。
〝彼女にとって自分なんて何のメリットがあるのか。
どれだけ冷静に、客観的に考えようとしても1ミリもメリットなんて出やしませんでした。
彼女は慶應大学から国内大手の外資系コンサル会社に勤める超ハイスペ女子。
商社マン時代でも全く相手にされないであろう次元の人。
一体どうして。。
後で分かることなのですが、
実は知らない間に僕は彼女へ多くのメリットを提供できていたんです。(詳細はまた別のところで
こんなおっさんと将来有望な若い子が付き合っても何のメリットもないと申し訳ない気持ちでいっぱいでいながら、
こんな千載一遇のチャンスはもう2度とない!間違いなく!
という、だっさださな話ですがそんな貧乏性な気持ちが、新しい世界へ歩きだすきっかけになりました。
あなたのふれている人や知識が自分を変える
彼女と付き合うようになってからもしばらくはやはり、何か申し訳ないというか、疑いの気持ちがのこっていました。
〝いやぁ、どう考えても彼女にとって自分はメリットがない。
当時のその気持ちを思いだす一場面として、彼女によく、こう言っていました。
〝他に好きな人ができたら遠慮なく言ってくれ。
ハイスペ女子にとって、僕のような
ど田舎野郎はある意味珍しくて、一時的な興味があっただけだろう。
だから、いつ捨てられてもいいように予防線を張っておこう。
そんな気持ちでした。
こんなによくしてくれる人にさえ、疑いの気持ちを持つクソ男だった自分。
そんな自分に転機が訪れます。
人生の拠り所にしていたスキーでの大会成績があまりに悪かったことに
悲観し、
〝自分はやりたいことをやれていても幸せに感じれないし、
心から感謝し愛していたスキーでさえ嫌いになろうとしてしまっている、
もう俺は終わりだ!!!!!
と一時期、商社マン時代末期並みに精神が崩壊しそうだった時、
彼女はこんなクソきもい自分でさえ、
〝えむやは私が選んだ人なんだから、大丈夫、
スキーだってこれからまだまだもっとうまくなれるし、
私は大会でどんな評価をされようが、
えむやの滑りが一番好きだし、格好いいと思ってる。
と、僕の可能性を肯定し続けてくれました。
普通の人だったら、こんなきもいクソ男、
ドン引きだし、さっさと別れたいですよね。
でも彼女はそうではなかった。
人生に悲観してテンパりまくっている自分に対し、
10歳以上年下なのに、
いつも落ち着いていて、強気で
とても懐が深い女性でした。
こんなスゴイ女性からポテンシャルがある!と、言われているんだから何としてもその期待に相応しい男になりたい!!!という気持ちがようやくフツフツとしていました。
そう、ここで自分は商社を辞めてから思考停止にしていた、
お金を稼ぐ
を再思考しはじめたんです。
やりたいことをやれる=貧乏
というこれまで生きてきた自分の範囲で勝手に決めてきた方程式を破壊しようとしはじめたのです。
そんなときでした、ネットの力を利用したビジネスを本格的に【学び】はじめたのは。
実はサラリーマン時代から起業、副業系のノウハウをいろいろ無料なものから有料なものまでいろいろ読み漁っていました。
僕はよくダイエットに例えるんですが、
世の中には、
買えば痩せられる
という商品はゴマンとありますが
痩せられる習慣
を身につけてくれる商品はなかなかありません。
ビジネスもこれにしかりで、
買えば儲かる!
って商品、人はいっぱいいますが
儲かる頭にしてくれる商品、人はなかなかいません。
僕は幸運というか、偶然にも、
商社マン時代の経験や、ハイスペ彼女のおかげで少し稼げる頭、
すなわちマーケティング等のビジネスにおける本質的な思考が少しつきはじめてタイミングだったおかげで、
とにかく自分を変えるにはスパルタだ!とライザップ的なノリで60万円で入塾したビジネス塾でも数ヶ月で安定して月収30万以上あげれるようになってましたが、
さらに、その塾とは比べものにならないレベルの起業家を
情報収集で読んでいた別の起業家のメルマガで知ることになります。
僕が彼に感動したのは、
彼が、
学べば誰でも稼げるようになる
やればやるほどライバルがいなくなる
と何度も断言していたことです。
誰でも
ワンクリックで、
コピペで簡単に稼げる!
って発信する人は、自分が入った塾の運営者含め、
ゴマンといますが、
学べば誰でも稼げるようになる
=学ばないと稼げないよ
と断言している人を僕は見たことがありませんでした。
(僕も含めみんなラクして稼ぎたいですからね^^
またのその根拠をとても丁寧でわかりやすい具体例など用いるなどして動画やブログ、ツイッター等で説明してくれていました。
僕は彼の稼げる脳を盗みまくろうと、
ネットで稼いだお金をどんどん彼に投資しまくりました。
彼から学べば学ぶほど、自分の脳がどんどん洗練されていっているのが手に取るように分かりました。
マジックのタネ明かしをされる連続と言いますか。
〝なんと!そんなことになっていたのか!!
の連続。
自己流でウンウン唸りながらやってたら
一体目的地に辿り着くまで何年かかっていたことか。
(というか、どこか全然関係ないとこへ行ってしまっていただろう
なぜ、ここまで言い切れるかというと、
これまでのノウハウ的な小手先、枝葉の話でなく、
彼は本質的な思考をどんどん与えてくれたからです。
これまで経験してきた良いことも、イヤなことも、情けなかったことも、浪費してきた多く時間も、ありとあらゆる点が、
ひとつの線になっていく感覚がありました。
そう、スティーブ・ジョブズが何度も言っていた感覚です。
僕はビジネスを通じてようやく、ハイスペ女子が期待してくれていたポテンシャルを少し発揮し始めました。
その結果のひとつとして、
思考停止状態だった収入も商社マン時代並みにあります。
しかも労働によってでなく、構築してきた仕組みによって。
この結果を得られたのは、決して自分が優れていたとかではなくて、
自分が出会えた人や彼からもたらされた知識のおかげです。
間違いなく。(昔の自分はここで変な勘違いをし始めるw
残念ながら、今の日本教育にはとてつもない情報格差があります。
僕も商社マンのままの環境で生きていたら、100万パーセント今のライフスタイルや思考を手に入れることはどれだけ必死に仕事を頑張っていてもなかったでしょう。断言できますね。
あらためて、えむやの行動理念おさらい
いかがでしたでしょうか?これらは冒頭にも述べてきたことですが、
僕の実体験としても最も重要すぎることなので何度もいいます。
僕が変わってこれたように、
僕のこれまでの経験を通した情報発信や提供するコンテンツによって、一人でも多くの人にこの決定的な格差があることに気づいてもらい、
学ぶことによってあなたもえむやが悩んできたような、
お金や時間、自分への可能性への壁をビジネスを学び、実践し、レベルがあがっていくことによって打破し、自信をつけてほしい。
そして、今の段階で自分が死ぬとき、
最後の日を想像してほしいんです。
周りの人と比べてばかりの、
周りの人と張り合ってばかりの、
周りの目を気にしたばかりの人生で
ほんっっとうに後悔しないのかを。
かつての僕がそうだったので、
周りの目が気になるのは身にしみて共感できるのですが、
絶対後悔すると思います。断言します。
なぜなら、実際、死ぬ間際になった人の多くが後悔しているからです。
もっと周りの目など気にせず挑戦すればよかったと。
えむやに置き換えれば、
会社を辞めて若いうちから冬は雪山で思いっきりスキーを楽しみたい
というのは当時の自分にとってかなりの挑戦でした。
安定した(今となっては全然安定してると思いませんが)職をすてる。
ガチで清水の舞台から飛びおりる覚悟。
でもこのまま後悔するとわかっている日々を繰り返すくらいなら、
最悪一生フリーターでもいいと思っていました。
しかし、その挑戦によって、
新たな世界、あらたな人々との出会いがあった。
そのおかげで新たな学びを得て、
お金を生み出す力も手に入れることができた。
だからといって、僕は
高級マンションだとか、高級車、高級ブランド、
海外で〜とかまったく興味がありません。
えむやにぶどうを教えてくれた師匠のように、
お金を稼ぐ力は持ってるけど、
質素に生きているのがめちゃめちゃかっこいいな
と思っている人間です。
そのかわり、
自分の頭にはガンガン投資します。してきました。
僕はこの今のくらしを味わっていきながら、
ひたすらに
自分なりの挑戦をしてみよう
と共感してくれるあなたの力になるような
情報発信をし続けていこうと思っています。
これが僕なりの
応援し合う世界であり、
否定の壁=情報格差の壁への挑戦です。
自分や相手の可能性を否定してしまうのは、現状の触れている知識や環境の次元が低すぎる可能性があって、
その世界の中だけで自分の未来を決めつけてしまうのは、
本当に、本当に、本っっとーーーーーーーーーーーーーにもったいない!!!
とえむやは経験上考えています。
ここでも書いてきたように、
僕がいかにムダにプライドが高くて、素直じゃなくて、
からみにくい人間で、
ここで掲げる信念といかに真逆の存在だったかは、
僕の学生時代や会社の人たちに聞いてもらえば
即わかりますw
ですが、こんな人間でさえここまで変われる。
僕らは本当に小さい頃からビジネスの本質、
お金を稼ぐ本質を学んできてなかっただけなんです。
学び実践すればするほど、
お金は入ってくるし、
時間も生まれてきます。
そして、何と言っても
これまでの考え方、価値観が変わっていく、
洗練されていくのが本当に楽しいです。
もはや生まれ変わっていくと言ってもいい。
その感覚を実感してほしい、味わってほしい
気持ちを込めて僕は、
これまでの自分が200万円以上のお金と、
10年以上の時間を費やして得てきた学び、情報を凝縮させた
メルマガを無料で発行しています。
ここには、僕が掲げる応援し合う世界をより具体的に
書いています。
是非興味がある方はご登録ください^^
大変好評いただいていて、
メルマガでしか発信していない話もありますし、
メルマガ限定での企画もあります。
さらに、返信いただいたり、熱心に読んでくださっている方だけの
企画、お話もあります。
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以上になります、えむやこと平田でした^^
追伸
動画でも僕の声で、これからビジネスへ挑戦してみたい!方向けにyoutubeで発信しています。
ブログにも貼ってありますが、ここにも掲載しておきますね^^
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僕が作った教材や愛用しているツールについてよく問い合わせをいただくので、こちらに記事にしてまとめました。
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僕は、商社も辞め、何の看板も持っていなかった
冴えない男だったのに、
ハイスペ女子に溺愛されるようなりました。
また、多くの人が挫折、消えていく
ネットビジネスでも、起業2年目で
商社マン時代並みの稼ぎを取り戻せました。
わけわかんないですよね。
謎すぎる、まぐれだろ。
ってよく言われます。
でも、商社で営業をしていながら、
完璧主義、コミュ障という致命的欠陥を抱え、
人ともまとめに目を見て話せない、
文章だってロクなもの書けやしない。
挙句の果てには、心が病んで休職、退職。
こんな僕でも、
ここまでこれた。
仕事やスポーツを覚えたように、
学んで、実践し続けて行けば
あなただってもちろんこれる。
えむやが少しずつビジネスに慣れ、
結果というお金を稼ぎ、
ボロボロに否定していた自分の可能性を
可能性の塊に確信化させていった過程を公開しています。
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