無酸素単独でエベレスト登頂をめざす栗城史多さんが亡くなりましたね。
サラリーマン時代に会社を辞めようか悩んで、
不安でしょうがなかったときに
彼のチャレンジする姿をみてすごく励まされた記憶が
今のえむやの生きる信念のコアな部分になってます。
はぁ、はぁ、
はぁ、
く、くるしい・・・
はぁ、はぁ、
・・・・・
くるしみありがとう。
って動画が登山中に配信していた中であったのですが、
あれが非常に印象的でした。
かつて王監督が語っていた、
勝利の喜びや、負ける悔しさを味わいたい
を思い出したね。。
はじめは、???って感じだったけど、
それが本当に
“好き”って感覚なのかなって、
自分では理解^^
あと、ネット社会の感覚とリアルな感覚のちがいを語っていた
最後の登頂前インタビュー。
表面的なもの(結果)しかみていない、
答えがないとやらない
感覚に疑問をなげかけていたのも
自分はとても印象にのこりました。。
前のブログに出てきた努力は報われますか
と、とてもリンクする感覚がしました。
イチローといい、栗城さんといい、
大きな事を成し遂げる人に共通しているひとつのキーワードで、
そういった見えない力を大切にしているとえむやは思います。
彼のだれもやったことないことへの挑戦。
〜だからダメだよ。無理だよ。
〜がダメだっていってたよ。
どうせ、〜だよ。
あなたにもえむやにもそれぞれ“否定の壁”があって、
こうやってそれを自分の登山でもって、
冒険を共有してぼくらの心の支えになってくれようとしていてくれる。
ネットのせいで、表面的なものしか見えなくなりがちだけど、
ネットのおかげで、自分に近い価値観の人の想いと自分の想いを共有できるようになった。
彼のことを、暴走だ、メンヘラだ、登山家として3.5流だ
と否定する人もたくさんいます。
とくにエベレストへのチャレンジになってから一気に増えたみたいです。
でも、人の冒険って、
正しい正しくないとか、効率的だとかそういうものさしで測るものではない
と思います。
いくらあなたは正しい、効率的よ
といわれて生きてきても
その人生の、冒険の終わりに、
こんなはずじゃなかった。
みたいな終わりだったらどうでしょうか。
えむやは彼の冒険への姿をみて力をもらいました。
がんばってほしいと思いましたし、
自分もできることで栗城さんのように何か人に力を、
価値を与えられないかと感じました。
彼の肉体はなくなっても、彼の想いはたくさんの人の心に受け継がれているし、
きっと、その冒険で味わってきたあつい想いは、天国にもいっしょに持っていけるよね。
あなたもあなたなりの冒険してみませんか?^^